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  安比高原は岩手県八幡平市に広がる、標高800〜900メートルの広い高原である。つまり国立公園八幡平に続く北斜面一帯にあたり、南側に西森山、東側に前森山と安比高原スキーー揚に囲まれた面積約二千ヘクタールの高原で、安比国有林の中にある。

〈あっぴ〉と言う語源は、アイヌ語からの地名との説がある。
 地名辞典によるとアイヌ語でアッピとは「獣の通路」。もう一つはなだらかな八幡平の中で安比岳が最も急峻な山で、この急な崖の山〈アブ〉が〈アッピ〉に変じたとの二つの説がある。しかし今や「APPI」と言う語呂も定着しているようである。

 昭和四十年代に安比高原スキー揚が開発されて、一躍、安比−APPI−の名が全国に知れわたることになった。 安比スキー揚は奥羽山脈の中にあり、日本海側からの季節風による多量の降雪と言質の良さ、そして初心者から上級者までが楽しめる変化のある数多くのコースと、最新の設備を誇り、五月のゴールデンウィークまで滑ることができる。

 スキー客受け入いれのために、原野だった所に豪華なホテルや別荘地、ペンションも五十数棟建ち並び、外国にでも踏みこんだと錯覚しそうな一大リゾート地域が出現した。
道路をへだてた昔からの細野地区にも、近代的な建物の民宿が数十軒建ち並び、暖かいもてなしと、サッカー場を地区内に待った民宿村ができた。

 安比高原は土地の人々には昔から生活の場として、大切に受け継がれてきた所であり、守ってきた所である。それがスキー場の開発によって、それぞれのペンションや民宿での会話や山菜のご馳走の中から、安比高原の存在が外部の人々に知られるようになった。 その人たちの注目を集めたのが、スキー場の奥に広がる〈中のまきば〉から〈奥のまきば〉への広々とした高原であった。

 高原を取り巻く周辺にはダケカンバとブナの森があって、ブナの〈二次林〉や〈白いブナの森〉は訪ねる人々の目を引きつけた。道路のすぐ近くに整然と連なるブナ林は下草が無いためずっと奥まで見渡せ、ふかふかの腐葉土の小道は気持ちよく歩ける。道を迷わないようにと道標が程良い間隔にあり、また、日差しの薄くなった午後でも判るように白い目印の標識が立てられている。
 岩手県は日本の中でも、高原が多い県の一つである。その数ある高原の中で、安比高原は起伏が少なく、平原状の広がりを持ち、〈中のまきば〉と〈奥のまきば〉は隣あわせながら植生も景観も異なる高原である。

 安比高原は元々放牧地で、奈良・平安の時代から蝦夷馬エミシの産地として開かれてきた。宮野英夫著「えみし風聞」に「狄馬てきばとは"蝦夷の産馬≠ニ言うほどの意味です。四国筋の産馬より馬格が一段と大きく、陸奥交易馬とも呼ばれ、砂金や毛皮、鷹の羽などと並んで陸奥を代表する産物として珍重されました…」とある。その蝦夷馬は奥州藤原三代が中央政権からの支配を受けずに、百年間地方の時代を確立して平泉文化を築いた大きな財源になっていたのである。その後、軍馬の育成や、農耕馬、農耕牛の放牧地や採草地として長い期間、大事に手入れされてきたのである。

レンゲツツジ ヤナギラン ノイバラ ズミ コウリンタンポポ

 その歴史ある高原は、農耕馬に代わる農機の使用と畜産の不振により、放牧地としての役目を終わって、手入れがされないまま放置された。そのために高原を彩っていたレンゲツツジやヤナギランもノイバラやズミ(バラ科の低木でエゾノコリンゴににている)、更には外来種のコウリンタンポポなどにとって代わられそうになっている。コウリンタンポポは強力な繁殖力で侵入してくる。2〜3年前、〈中のまきば〉で一輪咲いているのを発見した。それが年々増え、〈奥のまきば〉でも見られるようになった。

 以前は放牧地、採草地として春には火入れをして害虫や灌木を焼き払い、牛馬の餌として草が食べられることにより、広大な草原が保たれていたのである。その高原をどう利用するかは我々人間の、高原に対する考え方に関わる事であろう。そんなことを考えさせられる安比高原である。


 
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